ロッテのチョコレート事業の歩みと、カカオの持続可能な調達を目指す取り組み(上)
ロッテのチョコレート事業参入と、ガーナ共和国との関わり
2026.10.30
1948年に東京で創業したロッテは、チューインガムの製造販売から事業をスタートさせました。1960年代初頭には「菓子総合メーカー」を目指し、ガムに続く柱としてチョコレートに着目しました。「国際水準で最高の品質に到達する自信がなければ、生産は開始しない」という方針のもと、ヨーロッパ各地で活躍していたスイス出身のチョコレート製造技師、マックス・ブラック氏を招聘し、埼玉県に最新鋭の工場を新設。アメリカ式の軽い味わいのものが主流だった日本の板チョコ市場に、コクのあるミルク感となめらかな口どけの「ガーナミルクチョコレート」で挑みました。1964年2月の初出荷と同時に「本場スイスの味」は大きな反響を呼び、製造が追いつかないほどの人気に。ロッテとガーナとの縁は、こうして始まりました。
その後も、洋酒入りの「バッカス」(1964年)と「ラミー」(1965年)、モルトパフのサクッと軽い食感が特長の「クランキーチョコレート」(1974年)、生クリームを使った「V.I.P」(1988年)、世界で初めてミルクチョコレートをシュガーレスにした「ゼロ」(1996年)など高い開発力・技術力を背景とした新製品を生み出し、チョコレートのトップメーカーの一つとして広く認知されていきます。その間「ガーナミルクチョコレート」は品質の追求やパッケージのリニューアル、商品バリエーションの拡充を重ねながら、60年以上にわたって愛され続けるロングセラーとなっています。
カカオ豆が育つには年間平均気温が27度以上、年間降水量2,000mm以上の高温多湿な気候が必須で、赤道を挟んで北緯・南緯20度に広がる一帯に産地が集中しています。「ガーナミルクチョコレート」が生まれた1964年当時、ガーナの年間カカオ生産量は約58万トンで、世界総生産量のおよそ38%を占める最大の産地でした。現在はコートジボワールやエクアドルが生産量を伸ばしていますが、日本のカカオ豆輸入の約8割は現在もガーナ産です。ロッテにおいても使用するカカオ豆の7〜8割がガーナ産。60年超に及ぶガーナとの強い絆に加え、産出するカカオ豆の品質の高さを裏付ける数字です。
ガーナにとってもカカオ豆は金、原油に次ぐ外貨獲得の大きな手段となっています。ガーナ国営のカカオ産業の統括機関・Ghana Cocoa Board(COCOBOD)はカカオ豆の研究・種苗・栽培・収穫・流通を一貫管理するとともに、約80万世帯の農家に対し、技術指導を行っています。ロッテをはじめとするチョコレートメーカーが求めるレベルの豆を安定供給できる体制を国を挙げて整え、それによってメーカーは上質のチョコレートを生産でき、その対価がガーナ経済と農家の生活を潤す。そうした共存共栄の関係が維持されてきました。
カカオ豆がチョコレートになるまでの長い旅が、いつの年も順調に進むとは限りません。少雨も大雨もカカオポッドの生育不良につながり、病害虫の影響を受けると回復に最低でも1年、樹木が傷めば5〜10年かかってしまいます。
2023年10月~2024年9月の収穫年度時、エルニーニョの影響による減産で、カカオの先物相場が急騰しました。「カカオショック」と呼ばれたこの出来事の背景には気候変動に加え、樹木の高齢化、肥料など資材の高騰などの要因があります。ガーナにおいては国家財政の危機によって、栽培態勢が整わなかったことも影響を与えました。
複合的な要因によって世界のサプライチェーンに大きな影響が及ぶ中でも、ロッテでは一定量のカカオ豆を調達することができました。以前から取り組んでいたトレーサビリティの仕組みが功を奏したのです。
仕入れたカカオ豆が「どこで、どのように、誰によって生産されたか」を辿れるようにする試みを、ロッテでは2020年からガーナでスタートさせました。それぞれの農家で収穫されたカカオ豆は、まず地元のコミュニティ倉庫に集められます。そこから地区倉庫へ移されますが、カカオ豆の袋にはコミュニティ番号が印刷されており、集荷元のコミュニティが一目で分かるようになっています。複数の農家で収穫されたカカオ豆が一つの袋にまとめて入っている場合もあるため、農家ごとの買い付け量をデータベースで管理しています。袋は地区倉庫で品質管理と出荷準備作業が行われた後、港湾倉庫を経由して日本へ輸出されます。日本に着いてからも、どの農家からどれだけの量のカカオ豆を調達したかを追跡できる仕組みを整えています。